• Care for Carers

    Study: Care for Carers (2023)
    PU form,  acrylic gouache, vinyl gloves, inkjet print on paper

    小作品 ベッドと土壁の隙間

  • Recollection

    音づくりのための文章 
    千葉県いすみ市・7人で滞在制作
    Recollection of Dynamics: Write as if to touch clay
    相互作用の記録: 塑像みたいに散文を書いてみる
     
    20260208-0210
     
    1:
    前日の朝から東京・関東一帯で雪が降っていた。向かう車の中からは雪のこんもり積もった針葉樹が目に入る。千葉も雪が降るのかと驚く。雪の日の外の音が静かなこの感覚を久しぶりに思い出す。
     
    2:
    栄子さんとパヴェルさんに挨拶をする。パヴェルさんは誰よりもよく話すし、よく動く。工房の中で猫のマリオネットを動かしていたと思えば、その足で外に出て薪を割り火に燃料を継ぎ足す。栄子さんは三脚と腕が一体になったような動き。いつも素早く機材を準備し撮影に入る。動きに一瞬たりとも無駄がない。しっかり脇を締め、カメラを構えながら、多少無理な角度でも決して体勢を崩さない。機材と被写体に身体を添わせ、何か起こる瞬間を追いかける。
     
    3:
    私たちは新しい場で記号に還元される。日本人、チェコ人、女の子、男の子、子供、親戚、いろんな記号が寄せ集められた場。記号にはグラデーションの要素が付随しない。私の記号化は何を取りこぼす?領域の違う散り散りの点。
    いつもと違う環境で普段触らない素材と向き合う。土の温度や手触り、感触の話など取り留めもない話をしながら、お互いの違う視点を覗き見する。いつも熱い工房でパワフルにガラスを焼いている友達がぐったりした表情を見せる。とても珍しい。他の友達はあまり変わらない。関西弁を話すのを私は初めて聞いた。
     
    4:
    アトリエに到着してすぐ、中庭の中央にある3つのオブジェクトが目に飛び込んできた。2つの雪像と中央には土の野焼き。
    雪像は手のひらで掴んだ雪をそのまま貼り付けて立体にしたような縦長の形をしている。稜線が滑らかでヴィーナスの抽象彫刻みたいだなと思う。
    それぞれの突起の大きさがちょうど手の大きさと重なる。雪慣れしていない土地で、7人掛かりで手袋をせずに雪像を作る。手のひらから硬い雪の感触が伝わる。雪は思ったよりも角張っていて手のひらに刺さる。体中が冷たい。靴の裏、指先からどんどん骨の軋むような感覚が進んでいく。身体の輪郭が一回り小さくなったみたいな感覚。
    粘土は裏庭からそのままシャベルで掘り起こし、運び、焼いたらしい。沢が近くて、粘土質の土が採れる潤沢な土地。海も山も近接していてこんな所は初めてだと思う。
    庭の中央では雪で作った小さな山を粘土で覆って、火にかけて焼いている。形はそれ自体が窯のように見えて不思議な気分。
     
    5:
    昼食に向かう車中で楽焼き(Raku ware)の話をする。友達は工芸科にいた頃に見た野焼きの話をしてくれた。土は焚き火の温度で焼成できるけれど、ガラスは融点が高いから溶かすくらいが限界だという。
    工房に戻って火を見守りながら、炎は火焔土器の形そのままだということを実感する。人間の知覚は良くも悪くも変わらない。(後から獲得するものは分けて考える)
    同じ視度センサー、同じハードウェアのまま炎を見る。火のシェイプを土器に写しとる動機は一体どこからくるものだったんだろう。崇拝の形か恐さのあらわれ?それとも、単純に揺れ動き続ける現象が不思議だったからなんじゃないか。
    日が暮れてゲームに負けてから友達は火の番を続ける。交代が来てもやめない。火はずっと見れてしまうから離れがたいと言う。
    窯みたいな土器の形と炎をずっと眺めていたことで、私は火の神様の歌があったな、と思い出していた。火の神・カグツチ・アメツチニヲワシマシ。覚えた歌詞のかけらが意味なく頭に浮かぶ。
    でもシアターの格子窓は十字架に見えるし、椅子の並びは教会みたいだ。
    日常と切り離された状況で、取り留めもないことがぽつぽつと頭に浮かんでは消える。
    追記:後で調べると、イザナミを死なせちゃった神様はカグツチのことだった
    カグツチは殺されちゃうらしい。なんてことや!  
    一人目の子どもは流されて淡路島になったし、埋められてタロイモになったんだと覚えていたけど、これは記憶違いだった。
    タロイモのくだりはハワイのハロアナカウカパリリ(Haloanakalaukapalili)のエピソードだった。この子が一人目だった。そして淡島はイザナミの二人目の子。
    同じページで読んだ記憶同士がモンタージュされて格納されていた。こういう脳みそが勝手に知ったかぶりをするときが一番危険だ。
     
    6:
    一緒に映像を撮る。空に向かって仰向けになり、裸足の足を突き出すところ。自転車を漕ぐみたいにゆらゆらと動かしている。海藻が揺れるようにも、蜘蛛か蟻だかが死ぬ前の足の動きのようにも見える。こういうとき友達は全く躊躇がない。身体ってどんな位置づけなんだろう。
    完成したカットを見てシュルレアリスムの絵みたいだなと思った。茂みを背景に足だけが見える風景は変な夢みたいだった。明らかに異質な光景。それなのに茂みの稲藁みたいな色と肌のトーンが馴染んでいるのが不思議だ。パヴェルさんのいうみたいに専門外の領域は私たちの制限をはずす。かも。
     
    7:
    工房の周りにはたくさんキョンが出没する。野生の動物は自動車で近づくと一瞬動きを止めて固まるらしい。バイクで来た友達はキョンの親子と遭遇した。
    私はどうしてもキョンの姿を見たいし、できるなら声も聞いてみたい。
     
    8:
    野焼きを待つ間、夜にピザを焼いてもらって食べる。栄子さんから、テレビマンがどうやって養生テープを持ち運ぶのかを教わる。長めに切り取ったテープを15センチほどの長さで折り返し貼り付ける。テープを重ねると白い柔らかな板になる。プロのADは芯を抜いたり折り畳んだりすることで、持ち運びしやすい大きさに変えるらしい。
     
    9:
    栄子さんが大量の食材の詰まったスーパーの袋を持って現れる。
    友達が高いビールを出してもらってるよなと呟く。モースの贈与論が繰り返し頭を通り過ぎる。贈与には霊性が宿るという話。滞在する間にたくさんものをもらっている。
     
    10:
    H4Nで焚き火の音を録る。いつも通りの設定で録音を始めると、焚き火がパンッと弾ける音が思ったより大きくて波形がピークを超える。予想外の音量の大きさにびっくりする。
     友達は煙に当てられて本当に涙を流している。煙は目に入ると痛いし、気づかない間に気道に吸い込んでいて咳き込むと白い息がゴホゴホ飛び出る。
     友達にレコーダーを渡してみる。風切りのボーーーーーという音が思ったよりいい音で録音されていた。最後に「終了」と吹き込んでいるところをみて、レコーダーをトランシーバーみたいに扱うことが面白いなと思う。確かにモニターイヤホンを繋げない状態のレコーダーは無線機みたいにみえる。良いメディアの誤用のシーン。
    半日以上焼いても、土の中にはまだ雪が多く残っている。雪の溶ける音がシューーと聞こえる。水はやっぱり比熱が大きいんだなと思う。
    パヴェルさんの発案で上部が生焼けの粘土を網で覆い、神輿みたいにしてひっくり返した。うまくいくかな、どうなるかなとワクワクする。
    結果的には生焼けの部分と焼けて固まった部分とに不均等な負荷がかかって、粘土はバラバラに砕けてしまった。その下に敷いていたベニヤが丸く焼け残った。
    これも水の比熱のおかげだと考える。火に当たっていた面は燃焼し尽くして炭化しているのに、水に触れている面は綺麗だ。成果物が壊れたという見方もあるだろうけど、元の形の底面積はどのくらいだったのかその記録が残ったともいえる。思いがけないプレゼント。やっぱり水は特殊な物質。
     
    もし「雪のあと」を翻訳するなら,後 (after) それとも跡(trace) ? 私の位置をどこに定めるのか。まだ翻訳が定まらないことで、自分の処理がまだ不確定な状態だと確認する。
     
    雪が溶けると水滴になる。秋田に住んでいた頃、雪が溶ける時期になると屋根から水滴が落ちる音が聞こえた。太陽の出る日中はずっと水滴が落ちていて、大気の温度が下がる夜中は止まる。数日間続いたような気がする。つららが落ちる音と規則的な水滴音、時々不規則なノイズが混ざった音だった。そういえば、雪の季節のあと秋田市には道路が現れるんだった。
     
    11:
    雪像に巻いたアルミホイルを叩いて細かい面を作る。アルミは薄くてなかなか固まっていかない。
    友達が垂木をビスで止めて即席のトンカチを作る。木の断面は大きくてあまりうまく使えない。それよりも接続のためのビスの突起の方が小さい面で金属だから程よく固まる。友達は自分で道具(instrument)を作ること、それが多少役に立たなくても使うこと自体を楽しんでいるように見える。
     
    12:
    昼食の後、友達の車は海に寄ったらしい。友達は、何かに使えるかなと思って、と拾った貝殻を見せてくれる。砕いて絵に使うのか。もし昨日焼き物に入れて焼いていたらどんな色になっただろう。
    アルミで巻いた雪像から雪をかき出す。
    ずっとスチルで撮り続けていたけど、アトリエの中に運んでしばらくして、ブランコにみんなが変わるがわる乗り始めると映像で撮りたくて仕方なくなった。光量が少ないからISO感度をだいぶあげないと撮れない。
    画面はザラザラのガビガビだし色味も変だけど動きを追って画面に収める。この環境にすっかり感化されている。
     
    13:
    シアターの中のピアノに触る。調律の効いたピアノは音を聞くだけで気持ちがいい。でももう暗譜している曲はほとんどなくて肩が固まる。どう触ったらいいのか分からない。どうしたらいいか分からないからとりあえず弾く。とにかく覚えている和音を適当に組み合わせてみる。ひどいミスタッチと間延びした音の連続が聞こえる。
    私は楽譜が読めない。聴音は好きだったけど視唱はほんとにできなかった。なつかしい記憶。


    パヴェルさんがピアノを弾くところに居合わせた。緻密に制御が効いていて拍子取りに全く隙がない。彫刻を作っているところと比べて本当に同じ人かと疑いたくなる。
    やっぱりクラシック音楽は規律的(discipline)だなと感じる。もちろん好きだけど、外れた音への神経質さは音楽教育の副産物だとよく考える。オーディションで音を外すとまっすぐ減点につながる。
    定められた譜面でソリストを選ぶならそういう構造になるしかない。
    毛皮の張られた小太鼓とめちゃくちゃな音階のボンゴラピアノにも触る。ボンゴラピアノは右端からの4、5本と左端から5本目あたりが使えそうだと分かる。
    太鼓のふちには真っ白な毛が残っていて、毛皮の縁もあんまり切り揃ってない状態だった。丈夫な太鼓だった。太鼓は何も分からないから、ミスしても案外気にならない。叩き方でずいぶんと音が変わる。響きの違いが面白い。タブラは叩き方や叩く位置で音の呼び名が違ったっけ、と思ってとりあえず縁を叩いたり、指先だけで叩いてみたり試してみる。めっちゃ楽しい。手が痛くなっても全然叩き続けられる。楽しくて太鼓を抱えてそのまま外で跳ねてみた。リズム!調子がいい。
    ピアノの音が整っているということは、普段から触って調律師さんを呼ぶ人がいるということだ。
    時々鳴らしてあげれば、ペダルを踏むとき別の弦の音がうっすら聞こえるとか、小さな音の変化で状態を知らせてくれる。時間がないとそういうことに構ってやれなくなる。
    あんまり調律をほっとくと、その音に慣れて「でもまあこんなもんかな」で通り過ぎてしまうようになる。そのうち狂っていたことすら忘れてしまう。
    身体も同じで、そんな頻繁じゃなくてもいいから、何かのついでに調子を整える。そうしないとできないことはあるはずだから。
     
    14:
    海外の話をする。
    9日と10日の夜、宿泊先に帰ってチェコは社会主義だったよねと話をする。8日にあった衆議院選の話をしてみる。どこを支持するか、賛同する政党が見つかったとして、結局どこに投票すれば少しでも効果が生まれるか。
    友達はずっとはしゃいでいて寝ない。親戚みんなであやす子供みたいに自由だ。いい姿。
     
    15:
    2月18日
    千葉県のいすみからアパートに戻った後、一気に書き残しておいた記録を読み返しながら手を加える。
    野生のしっそうを読み返して、音の構成はどうしようと考える。
    記録を編集するとき、ラインを束ねるきっかけを与えてもらったように感じるときがある。私は動いて線のあとを記録し続けたいんだと思う。
    2026年2月12日:記録
    2026年3月12日:掲載用に再編
  • Isumi Residency

    Perspective of the Clay (2026)
    2 min. 10 sec.
    Following Snow (2026)
    1 min. 2 sec.
    Photo: Manami OKAMOTO
    撮影: 岡本真実
    映像や音を一本の時間軸として扱うのではなく、
    場で起こった様々な出来事を編纂するメディアとして捉え制作しました。
    サウンドスケープに呼応する形で提唱された「タスクスケープ」を音で表現することを探求しています。

    2026/2/8
    Write as if to touch clay 
    塑像みたいに書いてみる